気まぐれ日記 2016年12月

2016年11月はここ

12月1日(木)「小説の神様はどこ?・・・の風さん」
 昨夜で掌編小説の第1稿ができなかったので、4日(日)まで締め切りを伸ばしてもらった。最近の私には珍しいことだ。
 作業は続けているが、まだ「これだ!」という閃きがない。俗にいう小説の神様の降臨がないのだ。
 アイデアなら何でもいいのか、というと無論そうではない。次々に浮かぶアイデアや構想を客観的に評価してみる。そのときのチェックポイントは、読者にとって価値があるか、ということだ。ビジネスと同じで、顧客価値が創出できているか。再び小説用語に戻すなら、感動を与えることができるか。平たくいえば、面白いか、だ。
 今回の作品では、あまり和算は出てこない。なぜなら、史実でもこのへんの場面には数学的な面白さがあまりない。しかし、小説あるいは時代小説としては、面白い作品が書けそうな場面が続くのである。
 今日のペコは落ち着いている。しかし、昨夜たくさん排便し、たくさん戻したので、そのリバウンドもあって、今日は、トイレに行かないし、ほとんど食べたり飲んだりしない。夕方やっと少しキャットフードを口にした程度だ。
 油断してはいけないので、量を減らして下剤を飲ませた。
 夕食後は、来週の火曜日におこなうセミナーのために、半年前に使ったスライドのアップデートをした。

12月2日(金)「キャメロンで外回りを一気・・・の風さん」
 今日は集中的に雑務を片付けて、執筆に勢いを増す作戦だ(理論的な裏付けはない)。
 月一の総合病院へキャメロンで向かった。いつも大渋滞している場所がスムーズに流れていた。病院へは予定通りの時刻に着いたが、病院は混雑していた。年末へ向けて患者も焦っているのかもしれない。
 お昼を回ったので、病院内の売店でパンとコーヒーの昼食。340円。内庭のテーブルで食べていたら、白と黒の小鳥が寄ってきたので、パンをちぎって分けてやった。生命がいとおしく見えるのが病院の特徴だろう。
 そこから、電気屋に寄って、百均ショップに寄って、GSへ向かった。明日出かけるので自動洗車し、灯油を購入して出発。ショッピングセンターで買い物をし、自宅を通り越して、ホームセンターまで足を伸ばし、目的の買い物をした。
 予定していたスケジュールをすべてこなした。床屋はまたパスしたが、仕方ない。
 帰宅したら、疲れがドッと出た。
 こうなると執筆は困難である。先に、来週の非常勤講義の準備を最小限こなした。配布資料とデータの準備である。
 夕食後、いよいよ執筆に取り組んだが、イマイチ、イメージがわかない。こうなったら力づくということで、ネットで動画を検索して見た。これはすごい。直接取材に行かなくても、そのあたりの風景が見られる。

12月3日(土)「悪夢・・・の風さん」
 超多忙なワイフの時間がとれないため、今日しかチャンスはなかった。なるべく短時間で用事を終えて帰って来るため、実に久しぶりにキャメロンで名古屋まで出かけた。
 悪夢は出発してわずか20分後くらいに起きた。初めて覆面パトにつかまってしまったのである。悪質な運転をしていたわけでもないし、注意力に欠けていたわけでもない(と思っている)。走行車線を並んでいる車列があったので、追い越しをかけた。その最中に後方に怪しい黒いクルマをバックミラーに見た。あおられるのは嫌なので、追い越してすぐ車列の前、走行車線にウィンカーを出して入ったところで、私は御用となった。制限速度80キロの有料道路で速度19キロオーバーだった。
 言い訳も交渉も通じないことは承知していたので、手続きが最短時間で終わるように、あまり余計なことは言わなかった。ただし、もう30年近く(60万kmくらい)無事故無違反で、愛知県警本部長からも表彰されていることだけは主張した。ま、とにかく、私のドライブテクニックにも焼きが回ってきたということだろう。70歳で自分専用のスポーツカーを放棄し、75歳で免許証返上という、一つの検討シナリオが、現実味を帯びてきた。
 名古屋高速では、事故処理渋滞があった。事故車はH社のS2000だった。
 名駅で無事に買い物と昼食を終え、元来た道を通って帰宅したが、想定より約1時間遅くなった。
 メールチェックして、12日の東京での打ち合わせが成立したので、行きの新幹線のチケットの予約をした。それでもまだ執筆に戻れる状態にはならなかったので、火曜日のセミナーのスライドのチェックをした。セミナーのアウトラインはほぼ頭によみがえった。
 夕食後、執筆を再開した。閃きがないのは相変わらずで、メモのように書き進めて行った。

12月4日(日)「作家業だけうまくいかない日・・・の風さん」
 明日の講義の準備を真っ先に終えた。
 また2階のトイレが詰まった。いったいどうなっているのだ? 結局、スッポンで何度も何度もパコパコやって、ようやく流れるようになったが、詰まりやすくなっているということなのだろうか。パニックでドッと疲れた。
 今日はワイフのトールの体験教室に会社の元同僚が来ているので、トイレの詰まり対策を終えてすぐキャメロンで出かけた。
 天気はまずまずなのに、昨日の今日で、ドライブがイマイチ気分が乗らない。
 それにしても今日は観光客の姿が少ないな。
 海岸近くのまちの駅の中の施設が体験教室の会場なので、ちょっと浜へ出てみた。伊勢湾を前にした白い砂浜は、180度人けがない。人気スポットである灯台の周辺も無人だ。おかしい。
 体験教室が終わったので、近くのレストランでランチを食べながら、近況を語り合った。短い時間だったが、内容の濃い話ができた。
 帰宅して、また疲労感が襲ってきたので、ペコと一緒に昼寝した。
 疲労はかなり取れたが、また左の五十肩の調子が悪くなっていることに気付いた。痛いのである。
 夕方から明後日のセミナーの予習を始めた。
 今日最後の仕事は執筆で、相変わらず閃きが訪れない。また、締め切りの延期をお願いすることになってしまった。重症だ。

12月5日(月)「昼の短さを感じた1日・・・の風さん」
 6時起床。外は真っ暗だ。久しぶりの早起きで、昔に戻ったような錯覚を感じる。
 7時にキャメロンで出発。今日は犬山市にある某企業で社内セミナーの講師をつとめる。余裕をもって家を出たわけだ。
 有料道路をおとなしく走って、途中のパーキングで、予定通り出発したと事務局へショートメールを送った。
 その後、名古屋高速に入るかと思っていたら、ナビの指示は違っていた。伊勢湾岸から名二環に入り、東名、中央道を通って、小牧東ICでおりた。何となく遠回りだったのではないかという感じがした。
 犬山市内は霧に包まれていた。明治村やリトルワールドが近くにあるのを意識した。
 セミナーは9時半から始まった。若い人が多く、こちらもやる気が出た。昼までみっちり講義をおこなった。
 昼食後は、別の講師が来たのだが、勉強のため聴講させてもらった。
 今日は事務局とも仲良くなれ、持参した『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』を売ってほしいと言われたので、堂々と販売した。
 5時過ぎに現地を出発したのだが、既に真っ暗だった。
 ナビを多少いじってみたが、結局、来た時の逆コースで家路についた。途中で、ガソリンを少し補給しておいた。
 帰りもきわめておとなしい走りで徹底した。早起きとセミナーの疲労はひどかった。
 それでも、帰宅してひと休みしたら、元気が出て来た。
 夕食後、明日のコンカレント・エンジニアリングのセミナーの最後の準備をした。

12月6日(火)「2日連続のセミナー・・・の風さん」
 6時半起床。昨日と違って外は明るくなっていた。夜明け前の起床と違って、気分は良い。
 電車で名古屋へ向かったが、通勤や通学のピーク時刻は過ぎているのだろう、座ることができた。電車は7分ぐらい遅れたが、予定していた地下鉄に乗り継ぐことができ、現地には予定通りに着いた。
 6月に続いて2回目のセミナーなので、いくつか改善をしている。
 一つは時間配分で、午後2時までは、非常にうまく行った。次の1時間の中に、前回盛り込むことができなかった動画の紹介を入れたのだが、思いのほか時間を食ってしまい、最後の1時間は余裕がなかった。来年、3回目があるなら、また改善したい。
 今日は受講者が少なかったので、一人一人とできるだけコミュニケーションをとりながらの講義を心がけた。
 帰宅は午後7時頃になった。非常に疲れた。2日連続のセミナーはきついな。
 明日は4週間ぶりに非常勤講義をするが、今夜、2回目の準備をした。最後まで終わらなかった。明朝やることが残った。

12月7日(水)「危機一髪・・・の風さん」
 昨年もやった講義だが、復習は必要だ。スライドを用いた説明はすぐ思い出したが、もっと自信をつけるために、参考図書を1冊持って電車内で読むことにした。
 まだ時間があったので、メールチェックをした。そこで、危うく詐欺メールに引っかかるところだった。
 差出人はアマゾンで、内容はアカウントの更新を要求するものだった。本文の中にあるURLからマイアカウントにアクセスして、アカウントを更新しろという。少々変だとは思いつつ、URLを開いて、IDを入れるところまで行ってしまったのは、よく見る画面そっくりだったからだ。しかし、先ずそこで中断して、「何もメールから案内されなくたって、本来のアマゾンのHPから入ればいいのだ」と思い、そうしてみた。ところが、マイアカウントの更新を必要とする情報はどこにもなかった。
 そこで、もう一度、アマゾンからのメールに戻って、冷静に眺めていて、ようやく決定的におかしな点に気が付いた。
 差出人のアカウント名は確かにアマゾンなのだが、そのメールアドレスのドメインが、@docomo.ne.jp なのである!
 あのまま何気なく、IDの後にパスワードを入力していたら、その情報を盗まれるところだった。それは単なる個人情報ではない。それでログインして買い物をすれば、登録してある私のクレジットカードが使われるのだ。
 くわばらくわばら。
 危機一髪だった。この間の土曜日の悪夢もそうだが、老化はあらゆる場面で問題を引き起こす原因を作ってしまう。
 現役引退以来、クレジットカード類も整理してきたが、一段落していた。ここでまたさらに整理が必要なのかもしれない。
 とりあえず、最近、2つのクレジットカードの暗証番号を変更したのだが。
 4週間ぶりのパターン復活で、本山キャンパスへ出かけた。郵便局で悲しい振り込みをしたことだけが、いつもと違っていた。
 帰りに名駅地下街の金券ショップで、新大阪往復の新幹線切符を購入したが、最も安い組み合わせは完売していた。日曜日だもんな。
 3日連続外で仕事をしたので、疲れた。
 今夜は雑務中心で、また執筆はできなかった。

12月8日(木)「老人がんばる・・・の風さん」
 週一のリハビリの日がやってきた。今日は内科も同時に受診する。来週は外科も同時に受診する。その次の週は人間ドックだ。なんとも情けない老人モード。
 終わってから、MUFJとJAのATMに寄って処理をし、そこから日曜日にも行った「まちの駅」へ向かった。来週上京するので、そのお土産を買うためだ。
 天気は快晴で、海も青く、快適なドライブになった。土曜日の悪夢も記憶から少し薄れた。
 帰宅し、昼食後、いつものようにペコと昼寝した。なぜかリハビリの後は妙な疲労感が出るので、先回りで休息をとったわけだ。
 先日暗証番号を変更したクレジットカードの新カードが簡易書留で届いた。やはりカード番号が変わっていた。
 ネット上に登録してあるのを2件、変更した。一つだけよく分からなかったのが、クレジットカードとセットのETCカードだった。支払いがクレジットカード払いになっているのだが、あえて変更届けが必要なのだろうか。これは明日、固定電話から問い合わせてみることにする。
 11日の大阪行きはほぼ確定したが、12日の上京スケジュールがまだ柔らかい部分があったので、そこを確定させた。
 夕食後、やっとまた執筆に取り組むことができた。いつもの緻密な姿勢を復活させて、文章一つ一つを紡いで行く。時間はかかるが、これがやはり自分のスタイルなのかもしれない。
 明日は終日生産マネジメント研究会だが、内職でやることを決めて、午前2時に就寝した。

12月日(金)「内職の効果?・・・の風さん」
 今日もワイフと同じ電車で名古屋へ。私は生産技術マネジメント研究会。
 午前中は内職をしている余裕はなく、チームがまとめた資料に、N先輩と一緒に色々とアドバイスした。
 昼食後、内職を開始。持参のMacbookAirにiPhoneを接続し、テザリングで11日、12日の詳細移動スケジュールを決め、iCloudのスケジュール表に入力した。テザリングを利用している理由は、会場のWi-Fiの能力が劣っているからだ。
 ETCカードの疑問点について、公衆電話とテレカを利用して、問い合わせ、確認した。特に処置は必要ないとのこと。これは思った通りだったが、電話がかかって自動音声になり、最後オペレータ対応まで400円以上かかった。会話は短かったが、つながるまでが気の遠くなる思いだった。これもiPhoneを利用していたら、千円以上かかったろう。
 あと、メールチェックをし、日刊工業新聞社と仕事のやりとりをした。昨日の日記も書いて、自分宛に送った。
 研究会が終わってすぐ会場を後にしたのだが、外に出ると雨が降った跡が見られた。気が付かなかった。
 帰宅してすぐキャメロンで出かけ、満タン給油して戻った。
 夕食後は、11日の近畿和算ゼミで発表する資料を作成した。ストーリーは、内職時間の中で、手帳に書き込んであったので、作業は比較的楽に進んだ。しかし、やりかけると徹底する性格なので、午前2時過ぎまでかかってしまった。

12月10日(土)「スランプ脱出・・・の風さん」
 今朝は久しぶりに寝坊。リズムが変わるかもしれない。外は晴れているが、寒そうだ。
 いつもより遅い朝食後、アクアの給油に出かけた。
 帰宅してすぐ雑務の処理に取り掛かった。そして、昨日のスライド作成の続き。だんだん内容に凄みが出てくる。
 昼食後、ペコと昼寝。
 夕方になって、やっと執筆再開。一文一文念入りに書いているうちに、本来の感覚が戻ってきた。人間描写になってきたのだ。とうとうスランプを脱したらしい。
 明日の発表スライドもそれなりのレベルになって、小説の執筆も感覚が戻ってきた、ということは、やはり今朝の寝坊が良かったのか(笑)。
 夕食に稲庭うどんが出て、つい食べ過ぎた。
 明日持って行くものをまとめたら、けっこうな荷物。そりゃそうだ。販売用の本をどっさり持って行くのだもの。売れるかなあ。

12月11日(日)「近畿和算ゼミ・・・の風さん」
 快晴の空の下、今日は電車でお出かけ。最寄りの駅から電車に乗った。乗換駅でとっても変な奴が横から走り込んで来て列の前に割り込んだ。呆気にとられて、文句も言えなかった。空いているので、誰も迷惑することもないのだが。恐らく異常性格者と思われる。そいつも私も二人掛けに一人で座った。すると、次の駅で、着物姿のうら若き女性が乗り込んできて、空いている私の隣に座った。ざまあ見ろ。とうとう最後までそいつの隣の席は空いたままだった。何らかの異様さを皆感じとるのだろう。
 これまた空いているひかりに乗って新大阪まで行った。電子書籍を読んだ後、パンとコーヒーで昼食を済ませたので、タイムロスなし。
 JRに乗り継いで大阪駅まで行った。今日は近畿和算ゼミである。何度も行っている会場なのだが、毎回道に迷う。今日は、案内表示を注意深く見ながら歩いたのだが、頭の中の感覚と常に異なった。だから、山勘ではいけないのだ。
 今日は1時間40分も、新刊『和算の侍』と『円周率の謎を追う』の出版裏話を、数学者向けに楽しく語った。昨年のBS-TBSの収録話もして笑ってもらった。面白く語れたおかげだろう。持参した本はすべて売れた。最高に幸せ。
 12月の近畿和算ゼミは、最後は茶話会となる。今回は若い参加者が多く、楽しい時間を過ごせた。また、来たい。
 帰りに、予定通り豚まんを購入した。
 今回は安売りチケットで新幹線(自由席)を利用したのだが、帰りにトラブルが発生した。なんと特急券が「名古屋⇒新大阪」だったのだ。駅員に指摘されて初めて気付いたのだが、ある窓口で逆向きに交換できると教えてもらい、そうした。窓口には株主優待なんとかと書いてあった。そうか。この安売りチケットはそういう由緒があったのか。
 帰りも電子書籍をiPhoneで読んだ。
 豚まんが夕食の時間にバッチリ間に合った。

12月12日(月)「小田野直武となまはげ・・・の風さん」
 珍しく新幹線で上京。ただし、こだま。主目的は出版社との打ち合わせ。
 下車前にパンとコーヒーで昼食を終え、最初の打ち合わせ場所へ直行。今年の振り返りをし、来年へ向けて、編集者の意見をうかがった。一つの方向が見えてきたので、年明けにいくつか企画提案しようと思う。
 サントリー美術館で「小田野直武と秋田蘭画展」が開催されているので、編集者と一緒にじっくり見学(打ち合わせも兼ねる)。多くの絵は秋田県立近代美術館などで観ていたはずだが、無名の藩士らの絵も含め、とてもたくさん展示されていて、面白かった。ミュージアムショップで、小田野直武を主人公にした小説を初めて見た。
 電車を乗り継いで移動し、3つ目の打ち合わせ。来年4月出版予定なので、大詰めだ。年内にゲラが出るので、年末か年明けに返すことになるだろう。
 高校の同級生が主催した夕食会に向かった。銀座にある「なまはげ」という郷土料理店が会場である。秋田にゆかりのある人ばかりかと思ったらそうではなく、同級生の人的ネットワークによる集まりで女性が多かった。
 なまはげのショーがあった。ひょうきんななまはげで、僕らの近くに来て会話してみると、秋田の人間だった(本物のなまはげでも秋田か……)。僕らを秋田高校卒だと見抜いたなまはげは「しゅうこう(秋高)」と正しく言い、自らは「なんこう(南高)」と語っていた。さらに、店のPRまでしていて、「西木正明(直木賞作家、秋高の13年先輩)も来るぞ」「勝又美智雄(元国際教養大学教授、元日本経済新聞社ロサンゼルス支局長)も来るぞ」と知った名前が出て来て面白かった。
 まなはげと女性パワーに圧倒されて店を後にし、夜行バスで帰名した。

12月13日(火)「新たな挑戦課題か・・・の風さん」
 名古屋に着いたら雨が降っていた。予想よりも天気の移り変わりが早まった。名駅で時間調整して、電車に乗り込んだ。
 最寄りの駅で、次女を送ってきたワイフのアクアに乗せてもらって帰宅した。
 日、月(曜日)とかなり歩き回ったし、最後の締めは夜行バスだったので、相当に疲労しているはずだ。事実、空腹すら感じない。
 入浴後、HPを更新し、FBに書き込みをおこなった。外部に発信できる行動は、FBにアップしたいのだが、なかなかできないでいる。今日はその少ないチャンスだった。ついでに、秋田県人会のFBにも書き込んでみた。反応あるかな?
 久しぶりに卵かけご飯で昼食を済ませ、1時間半ほど昼寝した。
 元気が戻ったところで、明日の非常勤講義の準備を始めた。昨日の行きの新幹線車中でかなり準備が進んでいたので(MacBookAirを持参していた)、残りはわずかと思っていたのだが、課題レポートのモデル解答の更新とレポートの採点がけっこう大変だった。優れたレポートが出ていたので嬉しかった。
 夕方、メールチェックすると、中学時代から親しみを覚えていた出版社から、小説執筆の打診メールが入っていた。編集者の企画提案は、ぜひ取り組んでみたいテーマだった(私のチャレンジ魂をくすぐる)ので、近いうちに面会して相談し、出版にこぎつけたい。
 夜になってやっと執筆再開できる状態になったが、エネルギーが切れかけていて、とりあえず出発地点まで戻り、再開地点までたどり着いた。

12月14日(水)「モバイル機は復活するか・・・の風さん」
 次女を駅まで送り、その後ワイフを駅まで送り、そのまま非常勤講義へ出かけた。準備はバッチリなので気が楽。
 本山キャンパスでも余裕があった。早めに教室に入り、講義用MacBookAirとは別に持ってきたモバイル機をプロジェクターに接続し、ソフトとハードの具合をチェックした。全く問題なかった。実は、書斎でディスプレイに接続してみたら、想定した条件下で画像が出なかったのである。
 講義を終え、地下鉄で名古屋駅まで行って、用事を済ませたワイフと合流した。
 途中駅からキャメロンだが、夕食の買い物をして帰宅した。
 本山キャンパスで画像がちゃんと出たモバイル機を、通常の接続方法で液晶ディスプレイに接続してみたら、ちゃんと出た。当初予定していた使い方(接続方法)では、色々とやってみたが、うまくいかなかった。今後どうするかは課題だが、次の目標は、リビングのテレビに接続して見ることである。
 来年の1月21日(土)19時半から、ジュンク堂池袋本店でトークセッションをおこなう。申し込み(今どき電話)のペースが上がらないので、FBにアップしてみたら、少しずつ反応が出始めた。少なくとも申し込みだけは「満員御礼」にしないといけない。
 今日も夕食後の執筆になった。歴史上の場面を思い出すために、ちょっとネットで画像を見始めたら、どんどん調べる悪い癖が出た。今取り組んでいるのは掌編小説で、けっして長編ではない。そう自分に言い聞かせたが、それにしても随分と冷え込んできたな。
 ここ数日ペコの体調が良く、安心して見ていられる。

12月15日(木)「ペコの受診・・・の風さん」
 今朝の予想最低気温が2℃で、この時期の当地としてはかなり冷え込んだ。おまけに昨夜から風も強く、体感温度も低い。
 一度満タン状態にした屋外の灯油タンクをチェックに行ったら、ビックリ仰天、0指針を下回っていた。急いで、買い置きのポリタンク2個分を補充した。それでやっと半分近くに針が戻った(屋外タンクの容量は90L)。
 午前中に雑用を終え、今日は執筆に専念、と思ったが、疲労が出てきて午後から少し仮眠。
 その後、復活して執筆を再開した。
 ワイフの提案で、2週間に一度のペコの診察のため動物病院へ出かけた。最近のペコは元気なので、急いで往復する必要はない。ゆっくり走った。
 病院はいっぱいだった。待合室に入ったが、圧倒的に犬が多く、犬の匂いにかなりの不快感をおぼえた。これだから猫が好きなのである。
 2週間前に出すものをすべて出してしまって以来、ペコは落ち着いている。体重はやや減っているが、元々便秘気味で太っていたのが、やっと普通になっただけだろう。抗生剤を打ってもらって家路についた。
 帰宅してすぐ執筆再開。いつものペースなので、なかなか進まない。これでも莫大なエネルギーを投入しているのである。
 夕食後、イタリアンローストのコーヒーを淹れ、気合を入れて書斎に入ったが、なぜか疲労感が襲ってきてダウン。
 目覚めて、明日こそ、と思ったが、明日はリハビリの日である。整形外科も受診する。

12月16日(金)「三河湾の白波・・・の風さん」
 寒い朝が続いている。どうも体が冷えていると血圧が高いようだ。やはり私の鬼門は父と同じく冷え込んだ朝なのかもしれない。
 次女を送って戻ってすぐかかりつけのクリニックへ向かった。今日はリハビリと整形外科の診察を受ける。
 珍しくクリニックは空いていた。同時並行になるので、適宜、スタッフへ申告しながら、メニューをこなした。院長とはいつもの掛け合い漫才になった。会計前にロビーの血圧計で測定してみたら、意外にも高い数値を示した。冬はやばいのかも。
 帰りに、ドラッグストア、やがて閉店が決まっているというお気に入りのマーケット、GSに寄ってから帰宅した。今日は久しぶりに三河湾の海を眺めたが、紺碧の海原に、強風のために白波が立っていて、観光地の絵葉書のようだった。
 タイミングがベストで、ワイフにランチを作ってもらえた。
 その後、何度も休憩をはさみながら執筆。
 アイデアスランプは脱したが、文章作成も手こずっている。左脳に問題が生じたのだろうか。
 超スロースピードだが、続けていれば、そのうちペースが戻るだろう。そして、たとえ遅くても、時間をかけた分だけ前進はする。

12月17日(土)「ペコがまた不調・・・の風さん」
 昨日まで絶好調が続いていたペコが、今朝、久しぶりに吐いた。大腸がんなので排便がつらい。それで下剤を投与している。微妙なバランスで、力を入れ過ぎた後は、もどしてしまうのだ。いつものように玄関と廊下をきれいにした。
 今日は夕方長女が帰省してくるまで、マイペースで仕事ができる。とにかくコツコツと進めていこう。
 書斎は新築時に納戸として設計されたため、窓が小さい。当初すりガラスだったのを透明に変更し、さらに小さい明かりとりの窓も追加したが、開放感の好きな私にはまだ窮屈に感じる。その窓を通じて見える風景は、ここに越して来たころからほとんど変わらない。
 今も同じだが、目の前の課題に全力で取り組んでいるうちに時間が経過し、結果は残せているが、常に先の不安を抱えている。
 執筆が進まない原因の一つは体力の低下である。気力や無茶では補えないレベルになっている。復活した筋トレがまた中断している。
 7時に長女と出かけていた次女を迎えに駅まで行った。うまい具合に同じ電車だったので一回ですんだ。
 夕食後も執筆を続けた。昨日よりもペースは上がったが、まだゴールが見えない。
 就寝前にペコがまた吐いた。あとで下剤を補充した。

12月18日(日)「家族で食事・・・の風さん」
 寒気が去って、再び穏やかな年の瀬に。
 ペコの体調はイマイチで、朝、下剤を飲ませてそれほど経過していないうちにまた吐いた。昼過ぎにやや減らしてまた下剤を飲ませた。
 寒がりのペコにとって、日も差して暖かいのが唯一の救いか。サンルームのクッションの上でうたた寝している。
 昼食をはさんで私はひたすら執筆に取り組んだ。超スローペースは変わらないし、その原因も分からないが、とにかく今は前へ進むしかない。
 夕方までに、第三コーナーを回った感触があった。
 出かけていた次女を駅で迎え、そのまま家族四人でよく行くファミレスへ。そこは充実したサラダバーが魅力で、値段はサラダバー込みでやや高めだが、気に入っている。客は正直なもので、今夜も混んでいた。予約しておいてよかった。こういった混雑した商業空間にいると、たとえ短い時間でも、不景気感や閉塞感、将来への不安を忘れることができる。大事なことだ。
 食事後、いつものように長女を名古屋まで送った。
 帰宅して、執筆を再開した。就寝前にゴールが見えて来た。

12月19日(月)「やっと第1稿が完成・・・の風さん」
 午前中に、ケーブルテレビが信号の出力測定にやってきた。ブースターの劣化診断が名目だが、顧客のニーズを聞きつつ、契約内容のグレードアップのキャンペーンが主目的だった。
 非常に好感の持てる若者だったので、ケーブルテレビに関する色々な話をした。
 最後はキャンペーンに乗ることにし、その代わり格安でブースターを交換した後は、契約を元に戻すことにした。
 すべて終了して帰る時、「猫ちゃん、いるんですよね?」と質問してきた。2匹とも寝ていたので出て来なかったのだが、「猫、大好きなんですよ。会いたかった〜」と言いながら帰って行った。最後までいい奴だった。
 掌編小説の執筆を再開した。短い作品なので、最初から推敲に入り、第三コーナーからホームストレッチは全力疾走にする作戦だ。
 昨夜思い付いたアイデアを前半の伏線として忍ばせ、第三コーナーからは調子が上がった。
 晩ご飯前までにゴールを一度うかがったが、そこを走り抜けるのは後回しにした。
 そして、晩ご飯を食べた後、再び、スタート地点から確認しながら走り出し、最後は気持ちよくゴール。
 すぐに編集者へ原稿(第1稿)を送付した。実に、自主目標より19日遅れとなってしまった。
 体力不足の上に、目標を高く設定したため、なかなか筆が進まなかった。小説の執筆は、心身ともにかなりのパワーを必要とする。
 開放感が何とも言えなかった。

12月20日(火)「35日ぶりの筋トレ・・・の風さん」
 例によって、ワイフ、次女と続けて駅まで送ってから、自分の時間が始まった。と言っても、現役時代なら、もう会社で仕事を始めていた時間だ。日本の生産性は世界の先進国で最下位だが、私はそれよりはるかに低いので、退役軍人というわけだ。ま、ボケ老人よりは響きはいいか……。
 ドイツを気に入っているだけに、ベルリンの事件には本当に心が痛む。フランスも似ているかもしれないが、難民の流入が安全を低めてしまったことは間違いない。やや飛躍だが、来たる東京オリンピックの安全確保は大変だと思う。建物の予算などで騒いでいるが、安全確保の議論に変換すれば、もっともっとという声が高まり、予算は膨張するだろうし、また増加させなければならないと思う。伊勢志摩サミットの2桁か3桁多くて当たり前だ。選手は全員VIPなのだから。
 気になっていた雑務をいくつかこなし、明日の講義の準備をいくらか始めたところで卵かけご飯の高速ランチにし、筋トレに出かけた。
 35日ぶりの筋トレである。冬のトレーニングルームは寒々としている。汗を流す雰囲気ではない。それでも26日から体育館は冬休みに入るので、あと1〜2回、行っておきたい。
 バイクの結果(数値データ)から、体力が著しく落ちていることが分かった。一方、左の五十肩はさらに改善されていることが分かった。しかし、動くけれども痛いのは間違いないので、無理はできない。ちゃんと負荷がかけられるようになれば完治だろう。
 帰りに、JA、JPに寄った。
 石油温風ヒーターのスイッチを入れ、時間があるので、ヘアダイを始めた。1液、2液とブラシで塗って、シャワーで流すだけ。
 今日はそれほど寒くないので、猫たちも落ち着いている。ペコの体調もまずまずだ。
 少し読書をはさみ、映画を半分観て、明日の講義と講義後の打ち合わせの準備も終えて、今日のメニューを終了させた。

12月21日(水)「来年の国際会議へ向けて・・・の風さん」
 今年もあと10日ほどで、きっちり仕事は終えなければならない、ラストスパートである。
 今日は年内最後の非常勤講義である。準備はほぼできている(今日はExcelを用いた演習はない)。講義後、田村先生と打ち合わせがあるので、荷物も多く、キャメロンで出かけた。
 天気も好く、睡眠も十分なので、ドライブは快調だった。この間の悪夢の影響でスピードは出さない。高齢者ゆえの事故が頻繁に話題になっている時なので、これはかえって良かったかもしれない。来年へ向けて、さらにキャメロンに安全対策を施す計画もある。
 講義前にいつもの格安レストランで昼食を摂っていたら、午前中の補講を終えた田村先生が、留学生を引き連れて後から入ってきた。先生のご苦労には頭が下がる。
 講義を終えてすぐ自由ヶ丘キャンパスへ移動した。
 今年のお礼の気持ちで泡盛を差し上げ、近刊を2冊謹呈した。講義も終盤に入ってきたので、学生の受講状況を簡単に意見統一した。
 今日は重要な相談事項があった。来年9月、日本機械学会生産システム部門主催の国際会議が日本であるのだが、テーマがコンカレント・エンジニアリングなので、発表すべきかどうか、とても気になっていたのだ。
 まだ国際会議の詳細はわからない。田村先生からは、世界におけるコンカレント・エンジニアリングの研究状況を把握することから始めようとのことだった。つまり、何が問題になっているのか、だ。それに対する私なりの提案ができるかが、判断材料になるだろうとのことだった。
 明日は人間ドックがあるので、午後9時以降は絶食・絶飲と指示されている。バリウムを飲む予定なので、しっかり下剤を飲んでおいた。

12月22日(木)「人間ドック・・・の風さん」
 朝から小雨がぱらついていた。今日の最大のイベントは人間ドック。今年4月から初めて国保に加入した。町の保健センターで受けられる健康診断の項目が少なかったので、あえて人間ドックを選択したのだ。
 地元だが初めて行く病院なので、予定時刻よりもだいぶ早く、8時過ぎにキャメロンで出発した。場所はだいたいわかっているが、念のためナビもセットしてある。内陸部の田舎道を走るルートだ。
 本当に田舎道をのんびり走って、以前近くを通ったことのある病院に着いた。目的地は、付属の健診センターで、それ以外にもいくつかの関連施設がある、大きな総合病院だった。広い駐車場に余裕でキャメロンをとめた。
 健診センターに入って、受付を済ませると、なんと区長とバッタリ会った。町内会のこと以外で話をするのは初めてだったので、区長が興味を抱いている出版プロセスを少し話した。
 ほとんど定期健康診断で経験していたことだが、久しぶりにやったのは胃のバリウム検査と肺活量の測定である。バリウム検査ではこれまでバリウムの排出で苦しみ続けてきたので、昨日から先行下剤服用という手段に出ていた。あらかじめ体内を空に近い状態にしておくのである。完璧にはできなかったが、少なくとも便秘状態ではない。
 初めての検査項目がいくつかあった。MRIによる脳ドック、動脈硬化検査、2種類の腫瘍マーカー検査である。これらが今回の主目的である。年齢的にそういった病気のリスクが高まっているはずなので、これから毎年計画的に検査を受けていくつもりだ。
 午前11時ころすべて終了し、隣のレストランで土鍋のうどんをいただいた。実に美味しいうどんで、窓の外の寒々とした景色を吹き飛ばす暖かさを感じた。
 帰宅して、検査後に飲んだ下剤の効果が現れ始めた。
 来年出版予定の初校ゲラが届いていたので、その著者校正に取り掛かった。第4稿まで出していた効果で、修正箇所は少なそうだった。編集者と電話で話し、来週の火曜日までに返却することになった。
 ラストスパートは週末の日曜日までにほとんど終わりそうだ。

12月23日(金)「バイオハザードにはまる・・・の風さん」
 年末なので雑務は一気に片付けたい。しかし、現役時代のように最大効率を狙って集中的に取り組むと、そのリバウンドで痛い目にあう。とにかく今はマイペースを心がけよう。
 予定より1か月遅れで床屋へ行った。入社以来利用している床屋なので、事前に予約しておいて、片道1時間かけて出かける。ついでがあると良いのだが、もうそう言っておられないくらいうっとうしく伸びた(笑)。
 床屋は2代目がマスターだ。私はきっと限界まで利用させてもらうだろう。
 床屋でラジオの音声が流れている。今日は天皇誕生日で、シャバは3連休だ。小さな子どものいる家庭は、早速どこかへ遠出しているらしい。高速道路の渋滞が報じられている。しかし、トヨタ自動車のおひざ元である当地は、グループ会社、関連会社がトヨタカレンダーで働いているので、今日は出勤している人がほとんどだ。そのお蔭で、企業をたくさん抱える自治体は、納税も多く、職員の中に占める臨時や非常勤、嘱託も少ない。ただし、私の住居地は、日本のほとんどの地方の現状と同様で、過疎化により負のスパイラルに突入している。
 帰りにGSで給油と灯油の購入をし(現在、価格がピークに達している)、さらにHS(ホームセンター)へ寄って、カーアクセサリー類をいくつか購入した。
 帰宅してすぐ昨夜の残り物でランチを済ませ、屋外タンクに灯油を補充し、キャメロンにカーアクセサリーを装着した。キャメロンに色々と手を加えているのは趣味である。できれば年内にやりたいことは、あと一つで、アルミホイールに焼き付いているブレーキダストの機械的除去である。化学的除去は効果がわずかしかなかったので、あとは機械的にやるしかない。道具は準備できている。
 その後、いくつかの雑務をしているうちに夕方になり、すっかり疲れてしまった。
 ネットでたまに映画を鑑賞するが、初めて『バイオハザード』を観た。シリーズ物だが、最初に観たのが『バイオハザード ダムネーション』になった。それが良かったのか悪かったのか、はまってしまった(笑)。かつてプレステで『デッドオアアライブ』を楽しんだときの興奮が蘇った。3Dでもハリウッドが作るとこうなるのか、といった感じ。キャラクターの英語の発音が明瞭で、英会話の勉強にもなりそうだ。

12月24日(土)「映画鑑賞環境が整った・・・の風さん」
 昨夜は晩ご飯のときにギリシャのワイン(超低価格)をしっかり飲んだため、酔っ払って就寝が遅くなり、今朝は寝坊した。
 ブランチ後、筋トレに出かけた。20日以来である。前回、バイクの数値から体力が激しく落ちていることを確認したが、今日の数値を見るとかなり戻っていた。左の五十肩も回復傾向なので、今日もすべてのメニューをこなしてみた。痛みはあるが動かせる。トレーナーに話すと、無理しないようにと言われた。五十肩に限らず、老眼など老化現象は、無理しないようにという警告であることを忘れていた。若いときの病気や怪我とは違うのだ。次回27日が今年最後の筋トレになりそうだ。
 ここ数日ラストスパートしているせいだろう、イマイチ知的な仕事に取り掛かれない。
 ちょっと早いが年末に取り組む予定だった懸案事項にチャレンジした。MacBookAirと液晶テレビをつないで、ネットの映画を視聴することだ。
 これまでの知見から、HDMIケーブルによる接続が最適と思われたので、準備してあった。
 液晶テレビにHDMIの端子は複数あった。NO.1に接続すると、リモコンの入力選択ボタンでHDMIが選択できるようになった。
 ところが、映像は出るが、音が出なかった。音声はステレオミニジャックで別に接続する必要があるようだ。液晶テレビの裏を再確認すると、HDMIのNO.3がステレオミニジャックの音声入力と連動している。VGAも同様だった。
 接続を切り替えて、再度試したが、やはり音声が出ない。これには困った。
 PCに接続できる別置きスピーカーをMacbookAirに接続してみた。なぜか音が出ない。しかし、このトラブルが原因究明の糸口になった。
 それなら、とネットで別置きスピーカーから音が出ない原因を検索すると、MacのOSの場合は、PC側から出力対象デバイスを選択する必要のあることが分かった。システム設定のスピーカを確認すると、別置きスピーカーや液晶テレビが見事に検出されていて、選択可能になっていた。
 有頂天になった私は、『ミッションインポッシブル ローグ・ネイション』と『バイオハザード ダムネーション』を、液晶テレビで続けて観た。2本立て映画である。これで、年末・年始の映画鑑賞作戦の準備ができた(実を言うと、アマゾン・プライム会員なので、魅力的な映画は見放題である。昨年、光接続に変更したことも、このメリットが生かせるベースになっていた)。

12月25日(日)「DVIケーブルの勉強・・・の風さん」
 やぁ〜実に久しぶりに正午起床(笑)。体力不足のため、すぐダウンするが、通常の睡眠もたまに永眠に近くなる。
 朝食のようなランチ後、買い物がてらワイフのアクアの給油に出かけたが、目的の品物はもうなかった(以前買った物をもう1個買いたかったのだが)。
 外出はしたがパワーはまだ十分残っている。ゲラ校正の続きに取り掛かった。完璧に仕上げようとすると、際限なく時間がかかるので、特に気になる点を中心に直した。最後に、赤を入れたページにすべてポストイットを貼って、探しやすいようにした。編集者も独自に赤を入れるので、最終的に合体してまた入稿されて次のゲラができる。
 PCと液晶テレビの接続が達成できたので、先日のPCと液晶ディスプレイの接続が成立しなかったDVIケーブルの原因調査をした。
 その結果、自分の無知が原因だということが分かった。DVIケーブルは2種類あった。DVI−IとDVI−Dである。VGA(アナログ)に変換できるのはDVI−I(デジタル・アナログ兼用)で、私が元々持っていたのはDVI−D(デジタル専用)だったのだ。せっかく購入したVGA変換アダプターは、DVI−Iと接続しないとアナログ変換できないのである。
 あと、友人への手紙を書くなどして、今日の仕事は店じまいした。

12月26日(月)「執筆の仕事は年内終了・・・の風さん」
 次女を駅まで送ったついでに、コンビニへ行き、校正ゲラを着払いで出版社へ送った。この仕事はもう年内は終了。
 ワイフと地元農家の直売所へ行って買い物をした後、今日の仕事に取り掛かった。
 掌編小説の第2稿と説明用の地図画像の作成である。第2稿は比較的早く完成したが、地図画像の作成は難物だった。東北地方と北海道の南部を下地にして、主人公が今回の掌編小説の中で歩いたルートを書き込むのである。奥州街道を北上するのが基本だが、途中で2回、脇街道へ入り、さらに現在の地図にもない道を歩いているので、それらをざっと示すのである。作品の中に出てくる宿場名はもちろん、その他の地名もできるだけ書き込む。地図とルートは、どちらもフリーハンドでなぞって、画像化した。
 予想以上の時間がかかった。メール添付で編集者に送付した。これでこの仕事も年内は終了である。
 あと、気まぐれ日記のバックアップをとったり、読みかけの本(『英語と日本語で読む 武士道』)を読み進めたりで、今日の仕事も店じまいにした。

12月27日(火)「今年最後のリハビリと筋トレ・・・の風さん」
 また少し冷え込んできた。北海道はどか雪らしい。降雪にならないこの辺では我慢しなければ。しかし、寒いと血圧が高いのが気になる。
 下は半そでTシャツ1枚でリハビリに出かけた。いつもこんな服装だ。少し雨が降っている。
 クリニックは年末最終日らしく混んでいた。帰りにロビーで血圧を測ったら正常値だった。
 ホームセンターで猫のトイレの砂を買い、MUFJのATMで通帳記入してから帰宅した。
 インスタントラーメンで昼食を済ませ、筋トレに出かけた。こちらも年末最終日だったが、トレーニングルームは空いていた。
 ひと通りのメニューをこなしたが、また少し改善された気がする。左肩に負荷がかかっても全く痛みがなくなれば完治だろうが、まだ痛いことは痛い。しかし、動くことは動く。
 そろそろ年賀状の準備をしなければならない。今日は、送付先候補一覧表を作成し、プリントした。昨年の実績と、喪中ハガキの状況を見て、送付先を決める。年賀状のデザインは明日にしよう。
 昨日に続いて『英語と日本語で読む 武士道』の章を一つ読んだ。終わりに近いが、非常に難解である。

12月28日(水)「ジャンバー紛失事件・・・の風さん」
 出かけようとしたら、お気に入りのジャンバーが見つからない。朝から右わき腹に痛みがあり(原因不明)、少々苛立っていたので、だんだん焦り出した。それでも、冷静に屋内を探してみて、本当にないことが分かった。
 記憶の糸をたぐり寄せてみると、先週の愛工大非常勤講義のときに着て出かけて以来、使っていないことも分かった。その日のことを必死で思い出そうとした。まるで、出てこない人の名前を、五十音順で次々に思い浮かべて、何とか見つける作業に似ていた。つまりボケ老人の抵抗である。
 結局、自分に自信がないので、どこに忘れて来たか、その可能性を考えることになった。本山でランチを食べるために入った食堂か、キャンパスの講師控室か講義室、あるいは自由ヶ丘キャンパスの田村先生のお部屋。食堂か講義室が最も可能性が高そうだった。
 食堂に電話して尋ねたが、「マフラーの届け物はありましたが、ジャンバーはありません」とのことだった。
 続いて、本山キャンパスに電話すると、既に冬休みに入っていたので、守衛が出た。事情を話し、講義室を中心に見てきてもらうことにした。しばらくして、もう一度電話してみたが、「どこにもありませんでした」という回答だった。
 そこで、もう一度、あの日の行動を、ジャンバーを着たり脱いだりする行動とセットで思い出してみた。
 その結果、自分の習慣的行動が思い出された。あの日は、キャメロンで往復したので、ブレザーだけで運転するため、ジャンバーは脱いで、運転席の後ろにたたんで置いたはずだ。もしかすると、そのままなのかも。
 急いでキャメロンを調べに行ったら、なんと、あった〜!
 嬉しかったが、右わき腹の痛みは治らない。
 安心して外出した。iPhoneの機種変更をし(最新機種ではない)、キャメロンのマスターキー(疲労破壊寸前だった)の合鍵を作り、灯油を購入してきて屋外タンクに補充した。
 iPhoneの機種変更で、iCloudにバックアップしてあったはずの連絡先が、復元してみたら、すげえ古いデータになっていた。これはもう理解不能。とりあえず、そのままにしておく。それ以外は復元に成功した。
 夕方、時間指定してあった宅配を3つまとめて受け取った。その中にVGAケーブルが入っていて、また気になっていた操作を、複雑な接続状態を作り出して試験してみた。期待通りの結果が得られず、モバイルPCの復活は遠ざかった。
 夜は、年賀状のデザインを考え、送付先を去年の受け取り状況を元に判断して決定した。
 今日は読書ができなかった。右わき腹の痛みはまだ残っていて、ジャンバー紛失事件で、またボケを実感し、年賀状の文句に反映させた。

12月29日(木)「ボケの現実か・・・の風さん」
 2週間に1度のペコの病院通い。往復は有料道路だ。観光客もいるのだろうが、意外とたくさんのクルマが走っている。しかし、平均速度が低い。師走だからと言って、焦っている人ばかりではないのだ。
 またほんの少しペコの体重は減っていたが、誤差範囲だろう。症状が落ち着いていることから、医師は「希望的観測かもしれないが、他の部位への転移はほとんどしていないのかもしれない」とのこと。このまま、私と同じように、老化するように衰えていけば、最後は天寿をまっとうした形でペコの生涯を終えられるだろう。
 帰宅してすぐ墓参に出かけた。青空が広がっていて風もなく、最高の墓参日和だ。10日前の供花がほとんどそのままだったので驚いた。
 周囲にも墓参の家族連れがいて、平和を感じる。天変地異とテロがなければ、世の中どれだけ安穏か……。
 正午を少し回ったところだったので、ピザレストランにランチをしに行った。ワイフのトール教室の生徒の経営しているお店だ。
 満腹になり、午睡の誘惑の恐れがあったが、そんなこともなく(秋田の友人への電話後)年賀状の印刷に取り掛かった。
 少なくともここ2年連続して、印刷ミスが1枚もない。
 ミスをおかす原因系もだいたい把握できているので、事前チェックによる防止も可能だ。
 ところが、夕方近く、作業完了寸前でミスに気が付いた。原因ははがきを上下さかさまにプリンターにセットしたこと。購入したはがきのチェックも、セットするときの上下確認もちゃんとしていたにもかかわらず、このミスは発生した。
 変なはがきが何と44枚もあった。もちろん連続して発生である。
 やり直しをする前に、作業開始時にフルだったイエローのインクカートリッジが、残量少のアラームになっていたのも想定外だった。これまで順番に減少して交換していたので、次に交換することになるインクカートリッジは予備があった。まさかフルのインクカートリッジがこうなるとは思っていなかった。
 日が落ちて外は真っ暗になっていたが、いつも利用している大型家電量販店までキャメロンで行くことにした。
 帰宅して、残りの作業も終えたのだが、ショックが残っていた。慎重な作業をしたつもりでもミスをおかした。これは、昨今騒がれている高齢ドライバーの事故と酷似している気がする。
 昨日のジャンバー紛失事件の傷も癒えないうちのこのザマは、もう何と反省しようとも、ボケ原因のミスから逃れられない現実を突きつけられているとしか言えない。
 かなり雑務を処理してきたここ1週間だったが、次の1週間は身辺整理を中心にしよう。

12月30日(金)「年賀状が一段落・・・の風さん」
 ここ数日冷え込んでいる。それとは関係ないと思うが、3日連続のボケをやるわけにはいかない。今日は、できる限り、おとなしく過ごそうと思いながら、1日がスタートした。
 先ず、朝食後、キャメロンでJPへ走った。今日もけっこうクルマがたくさん走っている。そういう時期なのだろう。
 JPも混んでいた。焦っている人には譲るように心がけたが、窓口ではすぐに対応してもらえた。
 投函すべき年賀状をすべて渡すとともに、ミスした44枚を手数料(220円)を支払って新品と交換してもらった。実際はインク代の損害が一番大きかったと思う(金銭的には)。
 帰宅して、ワイフの年賀状の絵柄を一気に印刷した。私のミスがなければ、当初購入した分だけで済んだはずだった(ボケ老人の繰り言)。宛名印刷はワイフが自由になる夜になる。
 昼食は昨夜の残りのおでん。これで3日連続おでん(笑)。
 午後、少し休養してから、『日本語と英語で読む 武士道』の最終章に取り組んだ。感動的な終わり方で、英語もそこそこ理解できたので、満足した。あと、残りの解説を明日読めば、読了となる。
 夕食後、執筆マシン周りの整理をしてから、ワイフの年賀状の宛名印刷をやり、今日のミッションを終了した。
 どうやら今日はボケの発現はなかったようだ。やれやれ。

12月31日(土)「今年もたどり着いた大晦日・・・の風さん」
 今年も大晦日までたどり着いた。人生では63回目となる。自分で忙しくしているので、あっという間に1年が過ぎている感じがする。
 今日は、机の右横の床に放置してあった書類の整理をした。基本は捨てる、で臨んだが、結局捨てたのは半分にとどまった。ま、とにかく整理できたのは良かった。明日も続けよう。
 続けて、『日本語と英語で読む 武士道』を読了した。今年通算50冊目。何年間も30冊代が続いていたが、一気に50冊に到達できたのはうれしい。もしかすると東北大学大学院時代以来かもしれない。作家になる決意をして、とにかく江戸時代関係の本を優先的に読み始めた頃だった。来年も50冊以上を目指したい。
 ほったらかしにしてあったkindleを久しぶりに開いたら、バッテリの消耗を通り越して、完全に死んでいた。充電して、基本ソフトをインストールしてよみがえった。同時に、ダウンロードしてあった無料で読める本もよみがえった。
 22日に受けた人間ドックの結果が早くも届いた。年明けだと思っていたので、少し緊張した。
 かなり検査項目は増えたので、何か大きな問題が見つかっているのではないか、つまり精密検査が必要という項目があるのではないかと思ったが、それはなかった。少し異常だと指摘された項目がいくつかあり、3か月後に経過観察を受けなさい、という程度だった。
 年越しそばの晩御飯までに、我が家の家計簿の収支記録など最低限の仕事を完了させることができた。
 いつも雑務の山で押しつぶされそうな状態だったのが、こんなに身軽な感じになれたのは、もう何年間も経験していなかった。
 年越しそばをゆでる仕事まで引き受け、紅白歌合戦のテレビをときどき眺めながら、ツムツムの気になるところ(途中段階だったビンゴゲーム)もやり終えた。
 午前零時にただ一人帰省している長男をまじえた3人で新年を祝った。長男がお土産に持ってきたスパークリング八海山で乾杯したのだが、実に飲みやすい酒で、3人で1本空けてしまった。

 年末恒例の、今年の成果を以下に書きとめておこう。なお、今年から本名原嶋茂の成果も含める。

●出版
 『和算の侍』新潮文庫(2016年10月)
 『円周率の謎を追う 江戸の天才数学者関孝和の挑戦』くもん出版(2016年11月)
  に短編「天連関理府」が収録された。

●短編小説
 『いつくし村のきつね』(『数学文化』025)
 『ヤマガラ使いの夫婦』(『数学文化』026)

●読み物、エッセイ、随想ほか
 『JCMA』2016VOL.53に2015年度新春講演会「コンカレント・エンジニアリングによる日本の競争力強化」掲載。
 『日本推理作家協会会報』平成28年度4月1日号に「食べながら読んではいけない話」掲載。
  大中忠夫著『Bushido AI Programming』の書評「The reason why there is a human being」をネットに投稿。
 『あさぬまかわら版』2016.6に代表浅沼孝男氏との対談が掲載。

●講演、トークなど 注)最初の番号は通算回数
131 第266回近畿和算ゼミナールで講演(2016年12月11日)
 『近刊にこめた和算小説家の想い』
130 豊陵会中部支部総会で講演(2016年11月12日)
 『江戸の「和算」は世界水準!?』
129  日本経営診断学会第49回全国大会で特別講演(2016年10月8日)
 『IoT時代における日本的なモノづくり競争力「CE」の進化』原嶋茂=鳴海風
128 生産技術マネジメント研究会で特別講義(2016年9月16日)
 『デンソーで学んだCE グローバル時代のCEとは』原嶋茂
127 メロープラザ公開講座で講演(2016年9月11日)
 『一生かければ何でもできる 〜私の履歴書〜』
126 いちのみや大学第97回講座で講演(2016年7月2日)
 『江戸の「和算」は世界水準!』
125 N社で講義(2016年4月15日)
 『コンカレント・エンジニアリングを御社の競争力へ 日本の存続・発展へ』原嶋茂
124 元気シニア・シンポジウムで基調講演(2016年2月14日)
 『伊能忠敬に見る第二の人生の生き方 〜表舞台のために裏舞台も懸命に生きた〜』
123 日本セラミックマシナリー協会新春講演会(2016年1月26日)
 『コンカレント・エンジニアリングによる日本の競争戦略』原嶋茂
122 名古屋三蔵塾例会で三度目の講演(2016年1月16日)
 『コンカレント・エンジニアリングを日本の競争力へ、発展へ』
121 生産技術マネジメント研究会で基調講義(2016年1月15日)
 『デンソーで学んだCE グローバル時代のCEの本質』原嶋茂

●セミナー講師(半日以上のセミナーや講義を担当したもの)
  浅沼経営センター主催「不良を作らない・流さない工程管理とは」(5月17日)
  日刊工業新聞社主催「進化したコンカレント・エンジニアリング」(6月15日)
  秋田県南工業振興会主催「不良を作らない・流さない工程管理とは」(9月23日)
  JMA主催中堅リーダー養成コース1日目「技術者の仕事〜質を高める」(10月4日)
  D社社内研修「FMEAと開発リードタイム短縮」(12月5日)
  日刊工業新聞社主催「進化したコンカレント・エンジニアリング」(12月6日)

●愛知工業大学大学院で非常勤講師
  前期:生産マネジメント特論
  後期:オペレーションズ・リサーチ

●JMA主催生産技術マネジメント研究会でチーフアドバイザー


2017年1月はここ

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